口説きたいけども

 活気に溢れる街、ナマエはこの島の魅力の一つだよねと言っていた。記憶を遡れば、幼きにみた海列車を眺めた記憶。それは10年以上前の記憶で、その時のこの島の治安はすこぶる悪かった。ガキ時代の記憶からしても活気がある街であろう事は確かで、発展としても凄まじい。

「やっぱりアイスバーグさんが素晴らしいんですよ」
「そうだよなァ」

 盛大に意見が合う時は大概アイスバーグさんの事についてが多い。アイスバーグさんのワード一つで喜んで口が回る、そうこれがアルコールの力でもある。発展を続けているこの街、難点はアクアラグナの一点くらいだろうか。今年のでけェアクアラグナは全てを飲み込んで、そして全てを変えていった。それについては思うところもあるわけだが、前を見るしか出来ないのかもしれない。

 前を見ろって言ったって、今目に入るのは予算変更の紙である。職長という役職名が抜けきらない女性事務員、その時代は"職長さんは顔は良いと思うんですけど、やっぱ借金がアウトですよね、女性的にリアコは無理ですね"と社内の宴会でこき下ろされた記憶がある。リアコって何だ!?と言ったのだが笑われただけで誰も教えてくれることなく今に至る訳だ。が、とりあえず仕事は真面目であるために大目に見ている。そんな女性事務員が持ってきた用紙に目を通していたら、突然プライベートな話をしても良いか?と問うために一応形ばかりは注意をした。

「昨日ナマエさん酒場で観光客に口説かれてました」

 突然の話題になぜ今、そしておれに伝えると言えば、面白いものが見られるかとサラリと言い放つ事務員。そして今夜も会う約束になっているんですよ、と要らぬ情報を与えてきたのであった。


「副社長…?どうしました?」
「あ、いや何でもねェ」
「コーヒーここに置きますよ、ぼうっとして溢さないでくださいね」

 手元の資料を眺めながら、部屋に入ってきたナマエ。目は資料半分、その姿半分に捉えていた。コーヒーの香りが漂う中、机の上に指先を乗せた。形のいい爪、飾り気の少ないその爪を有する指で、机の上にある重なる用紙の束からお目当てのものを取り出した。

「こちらの資料が今夜会食の予定である取引先の…」
「今夜だァ!?」
「え、はい。昨日もお伝えしたかと…」
「…そうだな」

 思わず横に立つ彼女の顔を見れば、何を言っているのかというやや不思議そうな顔をしている。そうだ、確かに昨日言っていたなと思い直した。しかしながら、今夜、という一言にざわつきしかない。後頭部の髪をくしゃりと握った。

「…ついてくんだろ?」
「いえ、私は行きませんよ。今回は大丈夫だとアイスバーグさんから言われているので」
「それでもよ、」

 行かないです、というナマエの一言で会話が終わった。事情を知っている事務員が見ていたらさぞ喜ぶであろうおれの姿。さりげなく予定を埋めようとした思惑はあっけなく流されてしまった。私はこれから倉庫整理の方に、と腕時計に目を落としながら離れる雰囲気を見せる彼女。その姿に、昨日酒場でなんかあったか?とかそんなプライベートな事を聞ける訳がない。彼女の今夜の予定を知っているのはおれだけで、そしてそれを問いただす権利すらも持っていない関係である。更に言えば上手い言葉も思いつかず、お疲れ様ですともう今日は会う予定がないような挨拶をする姿を形ばかりで引き止めた。

「おい」
「はい?」
「あー、いやなんでもねェ」
「ふふ、さっきから何ですかもう…。疲れているならちゃんと休んでくださいよ?」
「お、おお」

 社内のためか控えめに笑う姿。でも資料はちゃんと見ておいてくださいねと念を押してから去っていってしまった。…どうすりゃ良いんだと、今日はもう吸う予定がなかった葉巻を取り出したのだった。

 口説く…、口説いた事なんざねェよ。いつだかナマエとヤガラブルに乗った時には、やたら野郎どもが話しかけてくる光景があって、彼女にしたらこの島柄だよねと一言で終わらせる事象であった。確かに、この島は女好きな奴らは多いのかとは思うが、自分の過ごす場所はガレーラカンパニーという男所帯のような職場がメインである。女性社員は、事務員だったり食堂であったり医務室にいるくらいか?あとは希少な女船大工かというくらいである。社員食堂では口説いていんのかという大工も、女と食事をする事が好きな奴も多い。島柄だろうが何だろうが、自分にゃ合わねェと分かっている。
 無意識に舌打ちをした。自身の立場を考えれば、ついてこいの一言で打破出来そなうな気もしたけれども、それこそ職権濫用である。痺れを切らしたように部屋の時計を眺めるが、規則正しく進む針は当然遅くも早くも出来ない訳である。当然の如く仕事を疎かにしては問題であり、手の中にある情報と予定の時刻を含めて計算に追われる事になった。


 日の入りの時間から始まった接待にも近かった会食。それを早々に終わらせれば当然に外は暗くなっていた。アイスバーグさんを本社に送ってから、足早に向かう先があった。
 錆びついた鈴を鳴らしつつ、扉を抜ければ、カウンター席を陣取っているナマエ達がいた。静かに息を整えながら数歩足を進ませる。賑やかな店内、各々好きに酒を楽しんで、顔だけは知っているような船大工もいるようだ。辺りを見渡しつつ、空いているスペースに足を向ける。汗含めて多少の熱さに首元のネクタイへと指をやった。

「パウリー、」
「お疲れ様です」

 空いている場所、アルコールのせいかどこか浮遊感のありそうな笑いをする彼女の隣に座る。もう隣にはおれに告げ口をしてきた事務員であった。先にお酒いただいてます、と笑う姿があり、生返事をしつつ辺りを見渡しても口説いてきたという男は居ないようであった。店主であるモズとキウイに酒を頼めば、金はあるのかという一言に曖昧な返事をした。

「それにしてもナマエちゃんさっきはかっこよかったね」

 事情を知るどこか憎たらしくも見える事務員が情けとばかりおれが気になっていた話題を持ち出してきた。隣で今更?と苦笑する姿を見つめる。

「口説き文句悪くなかったじゃん?『おれの旅の意味は君だ』って」

 出された酒に口をつけていなくてよかった。危うく吹き出すところだ。何つー台詞で口説いたんだと苛立ちながら、モズとキウイと事務員は、悪くない男だった、色男だったという総合評価をしていた。隣に座るナマエの評価が多少気になるところだが話に合わせて笑っているだけである。カウンターにある白い薔薇の小さい花束に目が入る。店内の装飾とは思えないそれも持ち越んだのだろうかと思うと。

「熱烈だったわいな」
「花まで用意するとは思わなかったわいな」
「観光客さんだよね?数日くらいの旅のお供かなぁ」
「ねぇ」

 酒混じりに笑う女どもの会話に、ンなハレンチな関係あってたまるかという言葉はぐっと飲み込んだ。特大すぎるブーメランも良いところである。どこか撒き散らしたくなるムカつきが湧き上がりそうでならない。それを察してか、ナマエちゃんが何で答えたか予想できます副社長?とか好き勝手な事をいう奴らに大声をあげた。

「私がここにいる理由はあなたじゃないです」

 少し前まで笑うか同意のような返答しかしなかったナマエがこちらを向いてピシリと言い放つ。コンマ何秒かの沈黙の後に、パウリーに言っていないよ?と柔らかい顔をしながら手元のグラスに口を付けていた。胸を突くような気持ちはどこからか。釘を刺されたとも感じる一瞬。次に発した言葉はそうかよとのありきたりな返答であった。言われた男側からすれば、ひでぇ断り文句だと思うが、おれとしては酒が美味くすら思える言葉でもあった。


 暗い石畳の上を少し楽しげに歩く姿に、ふらついていると水路に落ちるぞと言えば、そんなパウリーのような真似しませんと揶揄ってくる女。帰り際に貰ったという知らない花束を手にするナマエに僅かな嫉妬心が沸き立った。真面目に働いている昼間とはまた違うフランクさが滲むその手には白薔薇の花束がある。丁寧に抱くよう手つきにそんなもん捨てちまえとこちらは思ったのだがそうはいかないらしい。

「可愛いミニブーケだよね」
「そうかよ」
「この街でアイスバーグを選択するくらい洒落ているし、木立ち性のバラなのにわざわざアレンジしてもらったのかこういうブーケみたいに持ってきてくれたのはドキッとしちゃったよね」
「…分からねェ感覚だな」
「ふふ、パウリーはそうだよね」

 期待などしてません、分かるとも思いませんとばかりの淡々さが夜の身体に響く。知らぬ男から貰ったブーケを両手で持ち、香りを嗅ぐような仕草はまるで口付けでもしているかのようである。他の野郎から貰ったもんにそんな丁寧な扱いをしなくてもいいだろうという身勝手な独占欲。けれど彼女のことだ、花は花であって無碍になど出来ないのだ。そんな薔薇であるならいくらでも、と瞬間考えたがそんなものをいそいそ買う自身の姿が似合わないにも程がある。

「パウリーは、花より団子って感じ。…んー、花より葉巻かな?」
「花ってわけにいかねェだろうがよ」
「ほら、でも見て綺麗じゃない?」

 一歩ほど石畳を先にいくナマエがやや振り返るように、花の魅力が分からないおれにナンパ野郎から貰ったブーケを向けてくる。不意に香る白薔薇の微かな香り、その向こうに見える少し首を傾げたように伺ってくる表情。綺麗だと言うなら、おれは花より…。

「っ、まぁそうだな」
「でしょ?……なんでパウリーがそこで照れるの」

 とんでもなくベタな口説き文句が頭の中に浮かんでしまって打ち消すよう葉巻を咥え直そうしたら、煙を肺まで入れてしまい、軽く咳き込んでしまった。慌てて大丈夫?と背中に手を当ててくれるが、色々大丈夫ではない。
 ヤガラブルへ乗るまでの夜道、隣に流れる水路は昼の喧騒もないせいで、聞こうと思えば少しうるさくも聞こえる。何かの熱に当てられてか、それとも知らぬ男に煽られるような形で言うにはあまりにもくだらない。

「…おまえがここにいる意味って…なんだ?」
「え、」

 酒場での断り文句が頭に浮かび、動揺を隠すように話しかけたのだけれど、今の状況にはどこか意味深な発言にすら聞こえてしまうかもしれなかった。咳き込んだところから歩き始めた夜道、おれたちを認識したヤガラの鳴き声も聞こえてきた。

「私がここにいる意味…か」
「…何でもねェ」
「パウリー、…って言った方が良い?」
「いや」

 どこか見透かされたような笑みを浮かべているのなんか顔を見なくてもわかる。どう考えても声に遊び心が混じっているからだ。やっちまったと口内を満たしていた煙を吐き切った。どっかの店の店主が言ってたな、男というのは大きくなった子どもにすぎないと、微妙な欲を隠しきれずに駆け引きも失敗に終わったおれの事だろう。

「私がここにいる意味…当然ウォーターセブンが好きだから。それ以外ないかな」

 空いていた手、その薬指と小指の二本だけだった。共に同じ速さで歩きつつ、その台詞を発する時だけに、二本の指に細い人差し指が絡まされた。親しく結ばれそうなその指は絡めたと思えば、指の根本からその先へと握りつつスルリと抜けていった。まるで何事もなかったかのような自然さに白昼夢かと思う数秒。

「パウリー?」
「おう、」

 一歩先に進んだ彼女が大丈夫?飲み過ぎちゃった?とこちらの顔を伺ってきて、そのどこか訳知り顔を見ていられずに盛大に逸らしてしまった。何だったんだと思う数秒足らずの指先だけの絡み合い。その意図を考えてもどうしても都合の良い方向にしか頭が働かなくなっている。全部とは言わねェ、一割くれェ自惚れさせてくれねェものかと片手で顔を覆った。